◆とどのつまり

初雪

「とどのつまり(鯔の詰まり)」は「結局のところ」、いなせ(鯔脊)は「かっこい若者」の意味だ。ボラ(鯔)は出世魚といわれ、小さいときはオボコ、スバシリ、淡水に入り込んでからイナ、海に帰り成魚になるとボラ、さらに大きくなるとトドと名前を変える。出世魚としてたんび呼び名は変わるが、どれも鰡という字をはめている。その名前がトドで終わるところから、とどの詰まり、つまるところ、結局の意味になった。ボラの卵を乾燥させた「カラスミ」は、なまこの内臓を抜いて茹で干した「イリコ」や、干しアワビ、フカヒレなど俵物三品と同様に、高級食材として珍重されている。

「ごり押し(鮴押し)」の鮴はカジカの異名だが、ゴリを捕まえるのに、川底に敷いたむしろにゴリを押し込み、むしろの上の小石に隠れたゴリを、むしろごと押し上げて捕る漁法から、無理に物事を押し進める比喩となった。「ひっぱりだこ(引っ張り蛸)」はタコの干物を作るのに、肢体を引っ張り拡げることから、少ないものを手に入れようと求める意味となった。

「にべもない(鰾膠もない)」は無愛想なことをいうが、ニベとはニベ科の海魚の持つ「鰾」(浮き袋)から作るニカワのことをいい、粘着力が強いことから接着剤の原料として使われていた。強力な接着剤が切れたようだ、ということから粘りがない、お世辞がない、冷ややかという意味に転化した。

「めったやたら」(滅多矢鱈)、「たらふく」(鱈腹)食べた、なんて使うことがあるね。「めったやたら」または「やたらめったら」とは、考えもなく手当たり次第に何かをしたり、数量・度合いなどがむやみに多かったりするさまをいう。昔タラは海を埋め尽くさんばかりにたくさんいて、 矢を射っても当たるほどだった。 ここからはなはだしいさまを矢鱈と表すようになったという。また、非常に貪欲なことから、腹いっぱい食べるという意味の副詞「たらふく」の語源となったという。むろん、両方とも当て字、最近、日本近海でタラがめっきり獲れなくなったそうだが、やがて、言葉だけに名を残すなんてことになるかもね。