◆江戸前

東京湾

「ぶり はまち 元はいなだの 出世魚」という川柳があるように、ブリは出世魚を代表するサカナだ。地方により名前は異なっており、関東では、モシャコ→ワカシ →イナダ →ワラサ →ブリだが、関西ではツバス→ハマチ→ メジロ→ブリとなる。同じ出世魚といわれるのがコノシロ、関東地方ではシンコ→コハダ→ナカズミ→コノシロとなる。シンコやコハダは寿司ネタとして人気のある魚だが、古来、武士階級は食べることを禁じられていた。「この城を食べる」に通ずるとして、下克上すなわち謀反の思惑を抱いていると考えられたからだ。

江戸前には海も河川も含まれるが、河川でとれた代表的なものがウナギ。ウナギは地のものでなくては、おいしくないということで、ここ(江戸)でとれたものとして、売り文句が「江戸前」となった。つまり江戸前=鰻だったのだ。元来鰻は塩焼きか、ご飯にはさんだ「まぶし重」で食べていたが、江戸中期に「開く」調理法が生まれた。関西では腹開き、関東では背開きの違いがあるが、武士の文化がある関東は、切腹につながるものとして腹開きを嫌った。関西でも「自腹を切る」につながるとして腹開きを嫌う人もいる。

食卓に春を告げる「のれそれ」。お刺身を醤油やポン酢で食べると新鮮な食感がなんともいえないという。「のれそれ」は一見シラウオのようにも見えるが、実は、アナゴの稚魚(幼生)のことで、かつては高級料亭でしかお目にかかれない高級魚だった。高知県の名産品で、「のれそれ」というのも高知での呼び方で、東京湾のものは高値で取引されている。

千住ネギは千寿ネギとも呼ばれ、太くて巻きの数が多く、白い部分が長いのが特徴。江戸の頃からそのおいしさは料理人の間で評判が高く、すき焼きや蕎麦の薬味に重宝されてきた。トマトが日本に入ってきたのは江戸時代だが、当時は「唐なすび」「唐カキ」とよばれ観賞用として珍重され、日本でトマトが食用となったのは明治以降のこと、一般に普及したのは昭和に入ってからだ。

江戸時代に最も重用された調味料は味噌だった。味噌は飛鳥時代に朝鮮から製法が伝わったといわれ、当初は自家製が当たり前だった。江戸時代になると味噌を専門に作る味噌屋が誕生し売買が盛んになった。醤油も起源は大変古いものだが、誰でもが使える調味料になったのは江戸中期以降のことだ。砂糖も伝来は古く奈良時代にさかのぼるが、広く一般に普及したのは江戸時代後半のことで、和三盆など国産の砂糖生産が盛んになってからのことだ。