◆追憶

夕焼け

秋の気配を感じるようになると、感傷的になる。3年続きになるが、いつも思い出すのが、これらの詩、うた、ウタ。毎年としをとってくるから、詩の言葉に対する反応がかなり違って感じられる。思い出、郷愁といったヴェールに包まれていた言葉の一つ一つが鋭いやいばとなって、グサリと胸を刺す。

新しいカレンダーの表紙を破るのをためらったのが、
ついさっきのようだったのに。

月めくりのカレンダーがいつのまにか1枚だけになっていて、
すきま風で寂しそうに揺れている。

「光陰矢の如し」か。
なんか感傷的になってしまうな。

ヴェルレーヌ上田敏訳)、松尾芭蕉長恨歌謡曲「敦盛」。
有名なフレーズが次々と頭に浮かんでは消えていく。

「秋の日の ヴィオロンの ためいきの 
身にしみて ひたぶるに うら悲し
げにわれは うらぶれて ここかしこ 
さだめなく とび散らふ 落葉かな」。

「月日は百代の過客にして、
行きかふ年も また旅人なり」。

「年々歳々 花相似たり 
歳々年々 人同じからず」。

「人間五十年 下天の内を くらぶれば 夢幻のごとくなり 
ひとたび生を受け 滅せぬ者の 有るべきか」。 

すると、季節に関係なく好きな詩が浮かんでくる。でも好きなフレーズの一部だったのに、やはり全部は思い出せなかったな。

「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ 
緑なす はこべは萌えず、若草も しくによしなし
千曲川 いざよふ波の 岸近き宿にのぼりつ 
濁り酒 濁れる呑みて 草枕 しばし慰む」。
島崎藤村 小諸川旅情の唄より)

「ふるさとは 遠きにありて思ふもの 
異土のかたいとなるとても 
そして 悲しく うたふもの
よしや うらぶれて 
帰るところに あるまじや
ひとり 都のゆふぐれに ふるさと思い 涙ぐむ 
遠きみやこに かへらばや 
遠きみやこに かへらばや」。
室生犀星 小景異情より)