◆ロング・グッバイ

ガクアジサイ

「男はタフでなくては、生きていられない。そして、優しくなれなければ、生きる資格がない」。フイリップ・マーローが吐いた、このセリフはかなりキザっぽいけれど、男のダンディズムの極致だよねえ。だけど、ちょっと待てよ。この言葉だけが切り取られてすっかり有名になってしまったけど、この言葉の前には、当然女からの問いかけの言葉があった。「あなたのように厳しい男が、どうして、そんなに優しくなれるのか」って。

ジール・ハメットからレイモンド・チャンドラーと続き、ロス・マクドナルドで完結した、いわゆり正統派ハードボイルド小説は、戦後、気鋭の翻訳者により日本に紹介され、音楽でいえばザ・ビートルズ級の衝撃をもたらした。コチトラも一丁前に熱烈な信者となり、明けても暮れてもハードボイルドだど、って粋がって暮らしていた時代もあった。この強烈な影響を受け、日本でもハードボイルド小説がスタートするのだが、風土の違いもあって、どこかピントが狂っているようで、一つのジャンルとしては中々根付かなかった。

初期の時代、生島治郎や志水辰郎にはニヒリズムの濃い傑作が生まれたけど、いつのまにか二人とも違う分野に逃げ出してしまった。大沢在昌が「新宿鮫」を引っさげて、文壇デビューしたとき、久し振りに第一級のハードボイルド作家が誕生したと、大いに血が騒いだものだったが、連作が次々と発表されて行くうちに、次第に虚無性が薄れ、娯楽性の強い内容に代わっていった。文壇の寵児と持て囃され、乱作の結果、本来の持ち味がなくなってしまった。ハードボイルドはつらいだろうけど、流行作家であってはならないし、寡作でなくては、生きる資格がないんである。

いま、密かに注目されているハードボイルド作家がいる。レイモンド・チャンドラーに心酔している「原寮」その人だ。1988年、長編「そして夜は甦る」でデビュー、第2作「私が殺した少女」で直木賞を受賞。日本の風土にハードボイルドを定着させた作家としての評価が高まった。デビュー以来、95年発表され話題となった「さらば長き眠り」、そして、昨年発売された「愚か者死すべし」を含めて、長編小説はたったの4作しかない寡作ぶりである。比較的数が少ない登場人物の中に犯人がいるという点に、やや、もどかしさがあるものの、物語の組み立て、ダンディズム、ニヒリズム、謎解きの妙、生き生きと息を吹き込まれた登場人物、風景描写の正確さ、いずれをとっても極上の味がする。