県庁所在地

県名と県庁所在地名が同じ県とそうでない県がある。なぜだろうか?実は、これは明治政府のなんともあてつけがましいイジワルなのだ。明治4年、新政府は廃藩置県を行い、その際、戊辰戦争などで明治政府に貢献した藩については城下町を県名とした。

逆に明治政府に抵抗したり、消極的な態度を取った藩には、城下町のない郡名や山や川の名前を県名にするといういやらしい方針を採用したのだった。しかし、中には佐幕派だった福島県山形県などのように、佐幕でありながら県名と県庁所在地名が一致している県もある。これは、最大の城下町だった会津若松福島県から、米沢を山形県から故意に県庁所在地名から外し、県勢を分散させようとしたのだ。

御三家のうち、尾張藩は愛知県に組み込まれ、水戸藩茨城県に組み込まれてしまったが、唯一、和歌山県は城下町を県名に冠することができた。維新時の紀伊藩の態度が煮え切らなかったためと徳川御三家の一つだったことにより、維新政府には和歌山県とするのを潔しとしない意見が多く、一時は「深草県」となりそうになったことがある。これを覆すため、資金闊達だった和歌山藩は、かなりの資金をつぎ込んだようである。