◆年の暮れ

奇妙な建物

ギャンブルをやっていた頃は、競馬の「有馬記念」が終わると、ああ、今年も終わりだなって実感してた。それが「競輪グランプリ」を暦年、12月30日に行うようになり、こっちの方が年の暮れを彩る行事として、コチトラの中に強くインプットされている。ギャンブルは止めてしまったが、勝負事っていうのは、ドラマテイックでスルリング、勝負の行方には、いつも熱狂させられる。NHK紅白歌合戦はもうどうでも良くなって、これが終わり、「行く年来る年」に画面だ移行されて、初めて存在感を感じる程度になってしまった。

今年の干支は丑年だったんだって、今頃気がついた。にょうぼの年だったわけだが、なにもいいことはなかったね。夫婦互いに、老いの影が一際目立つ年だった。っていうことは去年は子年だったんだ。10年後の子年のことなんか想像もしたくないね。多分この世にいないんだろうし、それまで精一杯生きるしかないだろう。今年ほど、老いについて考えさせられた年はない。あさ目がさめると、きのうと違う自分が居て、愕然とするのである。昨日できたことが今日できない、情けないね、まったく。

枝川と豊洲を結ぶ地獄の一丁目として、強く意識するようになったのが「朝凪橋」である。かなり急勾配に作られているために、以前から難儀していたが、近頃ではそそり立つ断崖絶壁にように見えてきた。1ケ月前ぐらいから左足脹ら脛の筋肉損傷が足を引っ張るようになり、まず上りの途中で悲鳴を上げ始める。下りきったとこで、ひとまず腰を下ろし筋肉をマッサージしないと、歩きにくい。

平地だと問題なく歩けるのに、この落差はどうしたもんだろう。バスが頻繁にやってくるから、ついつい安易にバスに乗ってしまう昨今だ。僅かな距離を乗ることに対して、初めのうちは恥じていたが、馴れちゃうと、たった1区間でも堂々と乗ってしまう図々しさだ。体調はいつになく好調なのに、心技体のアンバランスがえらく目立つ。とりわけ脆弱なのが、心なのかもしれない。どうしても安易な道を選ぼうとしてしまう。これも老いの象徴なのかもしれない。

そうした心理状態の中で、新しい年を迎え、また一つ余計に年を取る。悲観的なことばかりいっててもしようがない。できそうもないけれど、心機一転して、老いの宿命に対処しなければいけない。当面の目標は怠惰、これに尽きるだろう。努力しても1日、だらけきっても1日、同じ1日なんだけど、心構え一つでどうにでも変わる。その辺りをどう対処していくか、それが来る年への課題となりそうだ。