◆小春日和

松本楼

家の中にいると、毎日がぽかぽかと小春日和のような暖かさだが、ちょっと表に出てみると、冬の寒さは驚くほど鋭くて、身を削がれそうな思いがする。ガキの頃、日溜まりを求めて、しもたやの縁側に集まったり、暖を求めて焚き火の傍に群れたりしていたのが懐かしい。

我が家の日溜まりは、午前中2回に別れてやって来る。最初は8時頃かな、直射日光が鋭く差し込んで来るが、光り輝くだけで、まだ暖かさとかが含まれていない、文字通りクールな太陽である。多少暖かさを感じるが、寒さがふっと頭上を駆け抜けるあの焚き火の情景と似てる。9時過ぎに目の前の建物の影に隠れ、寒い朝に一旦逆戻りをし、10時半過ぎに中天高く舞上がり、しあわせ光線を1時過ぎまでじっくりと送ってくれて、コチトラの部屋は天国のような冬うららの小春日和となるのである。

この光の洪水に囲まれて、午前中はシャツ1枚で過ごすことが多い。太陽の恵みを少しでも身体で直に受け止めたいという欲求も強いが、この日溜まりが何故か、身体中のパーツを刺激して訳もなく興奮させられるのである。「天才バカボン」じゃないけど、ピストルをバンバンバーンと発射する理不尽な警官や、「レレレ」しか言えないレレレオジサンや、バカボンパパのようにシェーとやってみたり、あの不条理の世界、ナンセンスの世界へどっぷりと浸かりたい、そんな気分になっちゃうのだ。

この恵み大き太陽のお陰で、ベランダには常に花が咲き乱れ、シーズンオフを迎えた草花までもが、その姿を醜く崩しながらも、懸命に咲いていて、感動させられる。本来、室内に飾るシクラメンも、やたらと頑張っている。ゼラチャンはとうとう1年間咲き続けてしまい、まだ咲き足らないと新芽を付けている。

小春日和というと、どういうわけか柚子湯を思い起こしてしまうのだが、日本では冬至の日には柚子湯に入る習慣があって、これは冬至を「湯治」、ユズを「融通」にかけ、健康に世を渡る、という語呂合わせからきたのだそうである。由来なんてどうでもいいのだが、柚子湯に入って、ベランダで恍惚としながら、満月やペテルギュース、プレアデス星団(すばる)などとじっっくりと語り合うのも、これまた乙な趣向であって、冬寒き折しか味わえない、まさに醍醐味といえよう。

中国では古来より牛や羊の乳を精製する段階で、5種類の味を楽しんだそうだが、最後の味を醍醐味といって、最上級の味として持て囃され、それが日本にも伝わって、宮廷での贅沢品として重用されたそうだが、醍醐はおそらくチーズの様なものだったようだ。
じゃあ、なんでそれが醍醐の味となるのかは寡聞にして知らないのだ。