◆五月闇

名古屋駅前

1月14日、きょうは成人の日だそうだ。そうだというのは、一部の祝日が休日とダブると翌日の持ち越す制度のせいである。成人の日といえば1月15日と思い込んでいるから、どうも違和感を感じてしまう。ここ2日ばかり、いわゆる極寒ともいうべき寒さが続いている。今朝の気温は2度、上空の状態によっては待望の雪にお目にかかりそうだ。雪って、どうしてこうロマンを感じてしまうのだろう。

「五月闇」、およそ今の時期にはそぐわない季節の表現だ。こういう言葉が季語としてあるのかどうかも定かではないが、ずっしりと重みを帯びて迫ってくる。いつものように、順調に読み進んできた鬼平犯科帳だったが、巻きの14となって、ここ10日ほど机の上に眠ったままでいる。気が重くなってページを開く気になれないのである。切なくて、辛くて、いとおしくて、泣き出してしまいそうな自分が怖い。そう書いているいまでも、涙がにじみそうになっている。

この巻に収められた連作の中ほどに、このシリーズの名作中の名作「五月闇」が収録さられている。有能で忠実な密偵だった伊三次の壮烈な死を描いている。「平蔵は茶碗に手も出さずに立ち上がって、障子を開けた。雨気をふくんだ五月闇が重苦しく庭にたれこめている」。なんで伊佐治を死なせたのか、伊三次のお通夜をしましたなど、作者や出版社には手紙が殺到したといういわくつきの物語だ。

鬼平犯科帳では、主要人物、長谷川平蔵以外の登場人物にも作者の目が行き届いていて、個性豊かに描かれている。それだけに、それぞれの登場人物に対する読者の感情移入も強い。伊三次はふだん目立たないけれど、自分のことをあまり語らず淡々としていて、けれんみがないのがよく、好きな密偵の一人だった。伊三次の突然の死にコチトラも暗然となった。ただ、平蔵は勘ばたらきで、いつもと違う伊三次の、おかしらの自分にもいえぬ苦衷を察していたようだ。それだけに、伊三次の死は悲痛な叫びが聞こえてきそうな余韻に満たされている。