寿司食いねえ

沖縄の次郎長寿司

浪花節はどこへ行ってしまったんだろう。昔は、どこへいってもラジオから聞こえてきたし、浪曲名人会とか素人のど自慢とか、浪曲道場とか、浪花節の聞こえない時はなかった。
品のない節回し、お説教調の仰々しい歌詞、喉を詰めた唄い方、ど派手ないでたちなど、どれをとっても嫌み以外の何物でもなかった思いもある。浪花節というように、関西が発祥の地のようだが、関西のものは義太夫浄瑠璃系から発生したらしくて、暗くて義理人情に縛られた陰湿なものが多かったと思う。
それに引き換え、関東風は講談ネタをふんだんに取り入れて、面白おかしいものと、人情味溢れた任侠物とに大別されるが今から考えると、あんなに嫌いだったにもかかわらず、江戸時代や明治初期の出来事などは、知らず知らずのうちに、浪曲から仕入れていたものが多いのには驚かされる。
そんな中で、「赤城の山も 今宵限り」の名科白で泣かせた広沢虎造はちょっと異質の存在で、よく聞いたもんだ。メリハリがあって、男っぽくて、歯切れがよかった。「おうっ!江戸っ子だってねー?」「神田の生まれよ」「気に入った!お−い、酒持ってこい、寿司食いねえ」。酒に酔っ払った江戸っ子が、千石船の上で、森の石松に次郎長の28人衆の名前を聞かせる名場面。「大政、小政、大瀬の半五郎、法印大五郎、大野の鶴吉、桶屋の吉五郎、三保の松五郎、問屋場の大熊、鳥羽熊、豚松、伊達の五郎、石屋の重吉、相撲常、行栗初五郎」。いつまでたっても自分の名前が出てこないので、じりじりと焦り捲くる森の石松の表情が眼の前に活写され、面白かった。